大人のダンボール箱

ここはクソ長い文をひたすらに吐き出す便所であり、あなたは便所紙だ

ビール飲みながら

「あ〜、あなたのアカハラのせいで胃潰瘍になってしまいました」(古畑任三郎風)

 

ってな怒り方をしてたのを見て思い出したのは、小学校のマジメな女子の口ぶりだ。こいつ、毎日心身のどっか痛めてんな。戦中実らなかった道徳教育がついに花開いたのか。

 

ただただ嫌だ、じゃなく、例えば「あまりの怒りで声が出ません」とそれ自体はどこか冷静に、"感情的な"非難を訴えるシーンが思い出される。

 

それが安っぽい舞台上のセリフのように聞こえたから、「あぁ、僕たちのファンタジーって帰りの会なんだな」という所感がしたのも、同時に思い出された。物語は心の痛みという何かに意味を与えるんだ。そう"正統な痛み"。"悼むべき痛み"。小学校で、大体の処世術は編み出され、実践される。僕たちは味を占める。

 

いわゆる「女嫌い」というのは小学校にいるこの類の「子役」や「チクリ魔」に端を発するような気がする。見たら不快だというのに、わざわざチクるために見にくる。そして当然のように感じるその不快さは正義の代償なのだと思い込むことで、ジャスティスポルノが加速する。人は早い段階から自慰を表明するのだ。

 

俺たちは褒められるようなことはしてない。たしかに。だが煮え切らない。なぜそこまで怒られるのか。あいつが傷ついたからか?それは言ったもん勝ちじゃねえか。そういった苛立ちが芽生える。だが…何が有効打になるのか…。わからない。

 

気にしなきゃいいじゃん→「あんた達は自分たちの声の大きさを知らない」

俺たちだって嫌なことあるよ→私たちだって→以下堂々巡り。

笑って流せよ→「嗤われることと笑うことは違う」

お前らが授業中にコソコソ手紙回してるの知ってるけど俺たちは何も言ってないじゃん→「話をすり替えるな。だからって今のあんた達のやったことが良くなるの?」

 

ってな具合に大体平行線を辿る。まあ関係性の方が平行線だったならかち合うことないから平和なんだけど。

 

こんなやり取りの何が嫌になるって、最後に声を出した方が勝ちになるからずっと叫び続けないといけないところだ。黙ってたら何もできなくなるし。嫌なところを互いにあえて見つけだすなんて、逆ポリアンナだ。ポリアンナのポリってのはアレなのか。政治的な、正しさ的な、アレなのか。

 

戦争ってのはこうやって起きるし、ネット空間では毎日ファットマンかリトルボーイが落ちている。原爆は影と後遺症は残してくれたけど、ネット空間では皆が影も形も消そうとしてくる。ゲンだって裸足で逃げ出す。クソ森だってクソと言われたから被害者になれる。そんな優しい場所。ここはインターネット。ここはインターネット。