この世を覆うカフェイン原理
みなさんこんばんは。お休みでしたか?
当然ですがみなさんは、騙されています。誰に?もちろんみなさんに。
かつて肋骨を欠いた男と肋骨の女体化が犯した罪によって、じつは眠れたためしがないのです。真の休息をとれてはいないのです。
カフェイン原理とは、眠りの不可能性つまりは、真の眠りの隠匿作用のことです。
コーヒーがこの原理の形象をなしていることは明らかです。眠気覚ましや眠りに落ちないために私たちは、社会的な慣習から、他ならぬこの慣習自身の維持のために、そう忌まわしきは「目的」というそれ自体終わりなきものによって喉を通過させられているのです。
そもそも、ここに言い回し上の誤解があるのです。コーヒーは眠気"を"誤魔化しているのではありません。コーヒーは「誤魔化されているものが「眠気」である」という誤魔化しを行なっているのです。なぜなら、私たちが真に眠るなら、眠りという状態を認識することなどないからです。
真の眠りとは、認識対象ではありません。なぜなら、認識する人は起きていないといけないからです。それでは真の眠りではありません。
私たちにとってこれまでの「眠り」とは、明日のためという目的に予め支配され、相対化されたものでしかないのです。それはいつまでも我執という目の眩んだ暑苦しい光の支配下に置かれているのです。私たちはもはや、「ああ、あと6時間でもう外に出て行かねば」と逆算をしながら目を閉ざしているだけなのです。
まとめますとカフェイン原理はつまり、自意識という冷たく固い執着が、あるがままにあるはずの真の眠りを脅迫し、それの持つ絶対性を忘れさせるという現象のことです。また、ハイデガーの現存在の頽落もこれの近縁にあたることは明らかでしょうから、『存在と時間』を参照しながら今一度反省してみていただきたいです。
ところでみなさんはコーヒーと合わせて何をお食べになりますか?アルフォートとの合わせ技は無糖のそれでは少々胃に負担になるなと思う今日この頃です。ボスのくせにいい気になりやがって、腹がたつんだよなぁ。