苦しみの起源
「あなたは自己責任という、それ自体無責任な考えを他人に押し付けて悦にひたっているだけじゃないか!」
「そうだそうだ、お前みたいなやつがいるからみんなが苦しんでるんだ」
「深く考えもしないで誰かを責めて責めて苦しめたよな。それでよくもまぁ良識派を気取れたもんだな」
正しい。正論。根拠がある。論理的。これに世間は味方する。
「お前みたいなやつ」と「お前」を分けていない。分けられない。「お前」という言葉はそもそも「お前みたいなやつ」にしか適用されないのだから。
分けないまま、分かれないまま、その不調和が誰かを責めさせ、弱者になった人を窒息させにいく、その手はかつてどこからどこへ伸びていたのか。
かつて正しいと言われたことをさらなる正しさで押しつぶす。私は正しいはずなのに、本当のところ間違えていたアイツが私を責めてきた。謝れ。
そうやって、かつてから私が苦しかったのは、私が正しかったのに間違った扱いを受けたからだと思うようになる。
でもきっと、苦しみというのは、私が正しいと必然的に思いなしてしまうことそれ自体だろう。「分けること」それ自体だろう。
もしくは、「正しいこと」を根拠にして何かを主張し、斥けることそれ自体じゃないだろうか。
そして私は、このこと自体が苦しみの起源であると「正しく」主張し、こうしてさらに…